真っ赤な鳥居の下/水中撮影/叫ぶ

 両親の言う通りの人生を歩み続けおよそ16年と少し。勇気を出して「写真家になりたい」と打ち明けた心の内は、しかし受け入れられることはなかった。

 両親は昔から教育熱心で、幼い頃からお前は医者になるんだなんだと刷り込みのように言われ続けてきた。碌に友達と遊びにも行けず勉強漬けの日々。クラスの皆が話すドラマは見たことがないし、ゲームもやったことがない。

 ただ、祖父はそんな私を見かねたのか、何年か前に一台のデジタルカメラをプレゼントしてくれた。これなら娯楽品には見えないから、両親に文句を言われたり取り上げられることは無いだろう、とのことだった。

 最初は娯楽品に見えないどころか、そもそもこんなもの娯楽にならないと鼻白んでいた私だったが、ある日とうとう勉強に嫌気がさして、私の部屋にある唯一勉強と関係のないそれを手に取った。

 身の回りに写し甲斐のあるものなんてなくて、なんとなく、部屋の隅に立ってそこから写真を撮ってみた。カメラの背面、小さな液晶画面に映る部屋は見慣れているはずなのに肉眼で見るのとは何かがちょっと違っていて、私の心にほんの僅かな興味が芽生えた。

 人生で初めて趣味ができた瞬間だった。

 それからと言うもの、私はなんとなく両親に隠れて、身の回りのものをぱしゃぱしゃと撮っては肉眼の景色と見比べたり、通学路の写真を撮ってみたりしていた。綺麗な花が咲いていたら写真によく映る角度や明るさのことばかりを考えていたし、ふとした瞬間にも「この景色をここから撮ったら面白そう」なんて物思いに耽っていた。

 昔から両親に言われるまま、何の疑いも志もなく医者を目指していたが、ここにきて思ったのである。このまま、写真を仕事にできたら、と。

 それを思い切って告白したものの、結果は冒頭の通りという訳だ。馬鹿なことを言うな、趣味で食っていけるほど甘くない、と散々に怒られた。そりゃあ確かにそうだろうけども。でも、生まれて初めて自ら持った夢を、そんなに否定することはないじゃないか。

 そんな私の反抗的かつ不満げな態度が目に余ったのか、両親は新聞を広げ、ある一面を指して言った。

 来月の写真コンクールに応募して、良い成績が残せたなら、少なからず見込みがあるものとしてその気持ちを認めてもいい。でもそうでないならそのカメラは没収する、と。

 負けていられなかった。そもそも、このカメラを取り上げられるようなことがあったら、そのとき私の心はぼきりと折れてしまうだろうという確信があった。考えるだけで恐ろしい。

 新聞社主催のそのコンクールのテーマは『秋』だった。なんともざっくりとしたお題である。

 その日から、私は必死に被写体を探し、目についたものを片っ端から撮っていった。紅葉、近所の猫、道端に落ちていた毬栗、秋服を着たショーウィンドウのマネキン……。

 その瞬間は傑作だ! と思うのだが、一晩寝て次の日見返すと、どれも凡庸でありきたりに見えた。こんな写真、何十何百枚と送られてくることだろう。もっと、何百枚の中からでも目を惹くような、それでいて心に残るような写真を、撮らなければ。

 そう思っている間に時は過ぎ去り、あっという間に締め切りの一週間前まで迫っていた。私はもう、藁にも縋る思いで、街の神社へと足を向けた。かなりこぢんまりとしていて、鳥居とお社とそれらを繋ぐ無駄に長い階段くらいしかないし、常に人がいる訳でもない小さな神社だ。

 神仏の類なんて普段信じちゃいないくせに、こんなときだけお参りに来るなんて。まさしく苦しい時の神頼み以外の何物でもない。

 ああ、ここも紅葉していて綺麗だ……だけど、この景色も何人もの人が写真に収めて自信満々にコンクールに応募しているのだろうと考えると、途端に手垢でべたべたに褪せて見えてしまった。思考がコンクールに支配されすぎている。

 段々に、私には向いていないんじゃないだろうか、両親の言う通り、今まで通り勉強に打ち込んでいた方がいいんじゃないだろうか、という考えが頭の片隅で存在を主張し始めていた。でも、そんな人生の意義と己の幸せについて考える度にぞっとする。私の人生なのだ。私が決めようとして何がいけないというのだ。少なくとも、何かに挑戦する権利くらい、私にもあるはずだ。

 吹き付ける秋風すら私に冷たくしているように感じた。

 昨日雨が降っていたせいか、真っ赤な鳥居の下にはずいぶん大きな水たまりが出来ていた。正直通りたくなかったが、鳥居を潜らずに入るのもどうなんだろう? という気持ちの方が大きく、結局早歩きで水たまりを踏みつけ鳥居を潜った。

 そこからすぐに伸びる石造りの長い階段を一段ずつ上がっていく。首から提げたデジカメ入りのケースがぶらぶらと揺れ、脚を踏み下ろす度に胸を叩いた。最近撮影のためあちこち歩くようにはなったが、今までの人生、圧倒的に運動不足だ。

 這う這うの体でお社に辿り着いたが、そういえばこういうときの作法もよく知らない。確か紐を引いて鈴を鳴らすはずだけれど、薄汚れていて気後れする。指先で摘まんで適当にがしゃがしゃと鳴らし、財布から10円を取り出して賽銭箱に放った。

 いい写真が撮れますように。

 とにかく自分で納得のいくものを撮って、このどん底の精神状態から抜け出したい。今の望みはただそれだけだった。

 お参りを終えて踵を返し、眼下に伸びる石段に辟易しつつも癖で一枚写真を撮り、また一段一段下っていく。色々考え事で頭がいっぱいだった行きと違って、帰りはなんだかぼーっとしていた。

 そんなんだから、よくなかったんだろう。

 もう少しで階段を降りきるというところで、私はずるりと足を踏み外し、鳥居の下の水たまりへと真っ逆さまに落ちた。

「ぎゃああぁっ!?」

 頭が真っ白になり、口からは勝手に叫び声が上がる。咄嗟にぎゅっと目を瞑り、地面に叩きつけられることを覚悟したが――私の身体は、予想外の衝撃を受けた。

 沈んでいる。

 水たまりに頭から落ちて、そうして、その下へとぶくぶく沈んでいるのだ。

 何が起きているのか分からなかった。鳥居が、地面が、遠くなっていく。水たまりの中は何故か澄み切っていて、高い空までよく見えた。

 あ、綺麗だ。

 私は無意識にケースからカメラを取り出し、その景色を切り取った。

 

 はっと気が付くと、私は水たまりの上に膝をついていた。びちゃびちゃの服を気にするより先に、私は慌ててカメラを確認する。

「あ……」

 確かに撮れていた。水中から見上げた鳥居――という奇妙な写真だ。

 これを提出すれば、と思ったが、普通に考えて有り得ない光景だ。合成を疑われてしまうだろうし、再現しろと言われても不可能だ。

 だけれども、ぱっと目の前が開けたような感覚があった。

 私は既に服が濡れて汚れているのをいいことに、ばしゃりと水たまりの上に横たわり、カメラ越しに鳥居を見上げた。真っ赤な鳥居と紅葉、そして高く高く澄み渡る青い空。こんな写真を撮ったのは、さすがに私くらいだろう。

 家に帰ると、全身びしょびしょのどろどろな私に両親が怒ればいいのか心配すればいいのか迷ったのか奇妙な顔をして言葉を詰まらせ、結局どちらでもなく風呂に押し込まれた。あまりに晴れやかな気分だったのが顔に出ていたのか、強く注意することも躊躇われたらしく、「もう高校生なんだから……」とだけ言われた。

 

 私の写真は優秀賞を取り、最優秀ほどではないが新聞の一面に載ることになった。これを知った祖父が褒めちぎってくれて、今度もっと良いカメラを買ってやる、なんて言ってくれた。両親は「勉強と両立させなさい」と口酸っぱく言ってくるが、とりあえずやるなとは言われなくなった。

 休日、カメラと、雨でもないのに雨合羽を持って出かけるようになったのは両親には内緒だ。またあんなに服を汚して帰ったら勉強や将来のこととは関係なく禁止されてしまいそうだから。

 

(55分/途中ちょっと居眠りした)