本屋/怪談/駆ける

 学校の七不思議というのはよく聞くけれど、その学校にそんな類の噂は存在しなかった。

 学校ではなく、この町そのものに七不思議が存在していたためだ。

 神社の鳥居を後ろ歩きで潜ると神様の世界に行ってしまうだとか、廃病院の窓に懐中電灯で合図を送ると看護婦の霊が見えるだとか。いくつかを試して本当だったと言い張る者もいれば、何も起こらなかったとつまらなそうにする者もいれば、そもそも試すまでもなく有り得ないと一蹴する者もいる。

 小学生くらいだと、オカルト話の大好きな年頃なのもあって一度は友達やクラス中がその話題で持ち切りになることもあるけれど、私みたいに高校生にもなると七不思議の話なんか誰もしなくなってしまった。いつまでもそんなことを言っているのは子供っぽくて、変な子だと思われてしまうのだ。

 そういう訳であまり表には出さないが、私は実のところ、そういった怪談話や都市伝説の類が大好きだった。有り得ないのは分かっているけれど、『そうだったらいいのに』と夢想することはいくらでもある。

 ところで、色んな人たち――主に行動力旺盛な小学生――が七不思議の検証にまい進しては無念な結果に終わってきた訳だが、その中でひとつ、恐らく誰も試していないであろうものがあった。

 それが七不思議の3つ目、『町の本屋で店員に見つからず閉店時間を迎えると、”シオリさん”に会える』というものである。

 この『シオリさん』が何者なのかは分からないが、十中八九オバケではあるだろう。

 なぜこの3つ目だけ誰も試していないのか。それは至極簡単な話で、閉店間際になると店員が店中をくまなく巡回して噂を試そうとする悪ガキをつまみ出してしまうからである。そりゃあ、そうだ。

 でも、だからこそ私は、どうしてもこれを試してみたかった。前人未到の地、未知の領域。もしかしたら、と私の内なる小学生が騒ぐのだ。

 どうしても自分を抑えられず、ついに私は行動に出た。とはいえ、私は高校生だ。無鉄砲な小学生とは違う。

 まず、私は件の本屋に通いつめ、閉店間際の店員の巡回ルートを把握することから始めた。制服姿で参考書を手に取り睨めっこしていれば、時間を忘れるほど勉強熱心な学生としか思われないことだろう。

 閉店間際の店員は2人で、片方が色々の作業をしている間、相方が店内の巡回をする、というのが決まりのようだ。見回り方に明確な規則は無いらしく、人によってルートがまちまちだったので、曜日を決めて特定の店員の見回り方を頭に入れ、何度も脳内でシミュレーションをし続けた。何度か「閉店ですので」と声を掛けられることがあったので、そろそろ怪しまれている可能性もある。

 そうして今日、とうとう肚を決めて行動に出たのだった。

 店員が見回りを始めるより少し前から視界に入らないよううまく本棚の陰に隠れ、店員が店内を歩き回るのに合わせて見つからないように少しずつ移動し続ける。心臓は絶えずばくばくと激しく脈打ち、脚が震えそうになった。そういうゲームでもやっているみたいだ。

 本当に店員から逃げ切って店を閉められたら、両親が警察に連絡したりして、物凄く怒られるかもしれない。それは覚悟の上だ。最悪出禁になるかもと思ったけれど、本が欲しいなら通販すればいいし、どうしてもこの本屋じゃなきゃいけない理由なんてないから、もはや私の好奇心を止められるものはこの世に無かった。

 どれくらいの時間が経っただろうか。事前に大体何分くらい店員が見回るのか計ってみたりもしていたが、実際は時間を確認する心の余裕もない。見回りの最後まで見届けたこともなかった。

 ぱちん。

 フロアの電気が消え、店員たちがスタッフルームに消えていく。私は一瞬歓喜の雄叫びを上げそうになったが、寸でのところで堪えた。

 とうとう、ついに、やった。

 脚の力が抜け、私は床を這いつつスタッフルームから出て来るであろう店員から見えないところへと身を隠す。そのまま破裂しそうな心臓を手で押さえつけるようにして深呼吸を繰り返していると、店員たちが店を出て鍵を掛けるのが音で聞こえた。

 しん、と辺りが完全に静まり返る。

 視界は暗く、私が思い切り息を吐きだす音だけが響いた。

 私は震える脚で無理矢理立ち上がり、無意味に辺りをきょろきょろとしながら店の中を歩き回る。いざとなると、半分くらい「馬鹿なことをした」という気持ちが心の中を占拠しつつあった。

 店内を一周歩き回ったら、警察を呼んで助けてもらおう。親にも警察にも店員にも学校の先生にも、ありとあらゆる大人にこっぴどく怒られるだろうけれど、もう仕方がない。

 そんなことを思い、立ち止まって制服のポケットからスマホを取り出したそのときだった。

 たん、たん、と音がした。

 足音だ、と反射的に思った。

 ひゅっと体中の臓器が縮み上がるような、そのまま口から全部が出てきそうな心地がした。

 なんで? 誰? 私以外誰もいないのに。

 その足音らしきものは、背後からゆっくりと迫り続けている。

 無意識に背中が丸まり、走ってもいないのに息が切れていた。胃がぐるぐるとして、背中は冷や汗でびっしょりと濡れている。

 私は、かちこちに固まる身体を無理矢理に動かし、後ろを振り向いた。

「――――…………」

 店中いっぱいに響く悲鳴が、他人事のように聞こえた。

 誰かが、こちらに向かって歩いて来ていた。暗くてよく見えない。人型で、たぶん、女かもしれない。

 気が付けば私は駆け出していた。平積みの本を薙ぎ倒し、ワゴンを蹴り飛ばしたが、構う暇なんて無かった。私は必死に出口の自動ドアに向かって走り、途中で足がもつれて思い切り転んだ。頭を打ったのか一瞬世界がぐるりと回転したような気がしたけれど、痛みを感じる余裕すらない。

 無我夢中で立ち上がり、電源の切られた自動ドアに夢中で縋り付く。外側のシャッターが閉められていて、店の外の景色は一切見えなかった。

「誰か! 誰か助けて! お願い開けて!」

 分厚いガラスを必死に殴りつけ、声を引っ繰り返しながら叫び続ける。

 次の瞬間、首にひんやりとした細いものが触れて、あ、

 

 

「あれ? この本屋、潰れちゃったの? なんで?」

「なんか、閉店後に取り残された客が死んだらしい。なんでかは分かんないけど……前にも同じようなことがあったとかで、人が寄り付かなくなっちゃったんだってさ」

「私、ここで働いてたんだけどさ、あの変な七不思議を試すアホがいるからって閉店前に店中見回って客追い出すっていう謎作業があったんだよね。私はシフト違うからやったことないけど」

「結局死んでんじゃん」

「そうだよ、ほんとどうなってんだか……迷惑だよねえ」

 

(1時間15分)